座付き作家・大澤音海「静岡・六月十九日の火 ― 記憶の扉 ―」ふじのくに芸術祭 芸術祭賞受賞 2026.03.09 受賞について 劇団静芸 座付き作家・大澤音海による戯曲『静岡・六月十九日の火 ― 記憶の扉 ―』が、ふじのくに芸術祭2025(第65回静岡県芸術祭)文芸コンクール 戯曲・シナリオ部門「芸術祭賞」を受賞しました。本作は、1945年6月19日の静岡大空襲を背景に、銭湯「花の湯」を舞台として、人々の日常と喪失、そして記憶の継承を描いた戯曲です。 審査評(抜粋) 審査員 村岡由美子 氏「作者の平和への思い、これを伝えていきたいという強い意思をひしひしと感じました。」「作者の丁寧な情景の描き方に釘付けになりました。特にト書きの情緒の持たせ方は本当に素晴らしく、“日常”“美しい景色”“戦火の物々しさ”を舞台に伝えてくれています。」「銭湯を平和の象徴としたことに個性を感じました。」「演者七人というコンパクトさを、兼役やナレーターなどで整理しています。戦火の場面での長めのナレーションは、演出の工夫によってダイナミックな舞台化の可能性が見えます。」審査評ではこのほか、駒形、新通、七間町など実在の町名を用いることで、静岡で起きた現実の悲劇として身に迫る作品になっている点についても高く評価されています。 受賞コメント 劇団静芸 座付き作家 大澤音海 このたびは、『静岡・六月十九日の火 ― 記憶の扉 ―』に芸術祭賞をいただき、心より感謝申し上げます。この作品は、静岡大空襲という出来事を、銭湯「花の湯」を舞台に、そこで生きた人々の暮らしと記憶を通して描きたいという思いから出発しました。広島や長崎に比べると、静岡の空襲は全国的に語られる機会が多いとは言えません。しかし、この町にも確かに日常があり、人の営みがあり、突然それを奪われた歴史がありました。そのことを、地域の記憶として残し、次の世代へ手渡したいという思いで執筆しました。座付き作家として幸せなことの一つは、執筆の途中で劇団員に原稿の読み合わせをしてもらえることです。ひとりで書いているだけでは気づけなかった課題や可能性を、声に出して読まれることで発見でき、本作もまた、そうした多くの気づきを受け取りながら完成へと向かうことができました。座付き作家という立場の強みを生かして育てることができた作品であり、劇団員の存在に深く感謝しています。また、このたびいただいた審査評は、作者として大きな励みになりました。まだまだ稚拙なところもある作品ですが、そのような作品に対して過分なお言葉と評価を賜ったことに、感謝の思いが尽きません。作品の中に込めた思いや、地域の記憶に向き合おうとした姿勢を丁寧に汲み取っていただけたことを、とてもありがたく受け止めています。昨年は、劇団静芸としてさまざまな作品の上演に取り組んでいたため、本作の舞台化までは叶いませんでした。けれど、いつかこの作品が実際に舞台として立ち上がり、客席からその上演を見ることができたら、……それが私の大きな夢です。それは劇団静芸の上演に限らず、この作品に可能性を感じてくださる他劇団の皆さまにも広く手に取っていただけたら嬉しく思います。この受賞を励みに、これからも静岡という土地に生きた人々の声や記憶に耳を澄ませながら、演劇だからこそ届けられることを書いていきたいと思います。本当にありがとうございました。 作品紹介 『静岡・六月十九日の火 ― 記憶の扉 ―』昭和二十年六月十九日。静岡の街は空襲によって炎に包まれました。銭湯「花の湯」を舞台に、家族と町の人々が体験した喪失と再生、そして記憶を語り継ぐ意味を描いた戯曲です。現代の高校生が過去の記憶に触れる構成を通して、静岡の歴史を次の世代へ手渡すことを問いかける作品となっています。本作は、1945年6月19日に起きた静岡大空襲を背景に、銭湯「花の湯」を舞台として、人々の日常、喪失、そして記憶の継承を描いた戯曲です。 受賞作品の期間限定公開について ふじのくに芸術祭2025(第65回静岡県芸術祭)文芸コンクール 戯曲・シナリオ部門 芸術祭賞受賞作品『静岡・六月十九日の火 ― 記憶の扉 ―』を、劇団静芸ホームページにて期間限定公開いたします。戦後80年という節目を迎えた2025年に生まれた作品。静岡の地に刻まれた出来事を、地域の記憶として次の世代へ手渡していくことを願い、公開いたします。ぜひ多くの皆様にお読みいただければ幸いです。 公開期間 2026年3月9日 〜 2026年8月15日(予定)※公開期間終了後、本ページでの作品公開は終了いたします。 作品はこちら ▶ 戯曲「静岡・六月十九日の火 ―記憶の扉―」(作・大澤音海)を読む(PDF形式) ここをクリック ご注意本作品の無断転載・無断複製・無断配布・無断上演はご遠慮ください。上演等に関するお問い合わせは、劇団静芸までお願いいたします。 この作品が、静岡の記憶と、語り継ぐことの意味に触れる機会となれば幸いです。